伊藤組の歩み

沿

  • 明治7年
    愛知県名古屋市中村区南称宜町6番戸にて
    (現:名古屋市中村区牧野町字池田89番地)伊藤久四郎個人営業として「伊藤組」創業
  • 明治13年
    現在の(株)竹中工務店と取引開始
  • 明治40年
    伊藤長太郎 代表者就任
  • 昭和11年
    伊藤又四朗 代表者就任
  • 昭和13年
    伊藤静夫 代表者就任
  • 昭和22年
    (株)六合と取引開始
  • 昭和27年
    鹿島建設(株)と取引開始
  • 昭和32年
    株式会社伊藤組に改組設立(資本金500万円)
    伊藤静夫代表取締役就任
  • 昭和45年
    資本金1,008万円に増資
  • 昭和48年
    伊藤博 代表取締役就任
  • 昭和50年
    安城市に従業員寮「安城寮」完成
  • 昭和56年
    本社ビル及び従業員寮「名古屋寮」完成
  • 昭和57年
    (株)中村工業と取引開始
  • 平成5年
    甚目寺町に従業員寮「甚目寺寮」完成
    甚目寺町に「名西営業所」開設
  • 平成10年
    甚目寺町に本社新社屋完成と同時に本社移転
  • 平成11年
    TSUCHIYA(株)と取引開始
  • 平成12年
    木曽岬機材センター開設
  • 平成13年
    木曽岬機材センター 社団法人仮設工業会指定工場認定
  • 平成21年
    黒田健善 代表取締役就任
  • 令和4年
    伊藤克敏 代表取締役就任
  • 令和5年
    運送業許可取得
  • 令和6年
    IEG設立
  • 令和7年
    長谷工コーポレーション様と取引開始

愛知労働局長 団体賞(2011年7月5日 受賞)

愛知労働局長 団体賞(2011年7月5日 受賞)

伊藤組安全衛生協力会として、地域の安全衛生活動を長年にわたり推進。
年間2,000回を超える安全巡回、フルハーネスの普及、災害ゼロの継続など、他の模範となる取組みが高く評価されました。
中小企業としての受賞は極めて珍しく、関係者と築いてきた仕組みと努力の結晶です。

叙勲 宮脇 長悦(1967年 受章)

叙勲 宮脇 長悦(1967年 受章)

鳶職一筋の人生を歩み、名古屋の象徴的な建物を数多く手がけた宮脇は、職人としての技術と誇りを体現する存在でした。
受章後も、自身が関わった建物を写真に収め、大切にアルバムに保管。建築への情熱を次世代へ語り継いでくれました。

叙勲 伊藤 博(2010年 受章)

叙勲 伊藤 博(2010年 受章)

49年にわたり建設業界に身を置き、日本建設躯体工事業団体連合会への長年の貢献が評価されての受章。
現在は伊藤組の顧問として、未来を見据えた経営を陰から支えています。

叙勲 平野 明則(2020年 受章)

叙勲 平野 明則(2020年 受章)

1986年の入社以来、安全衛生管理の第一線を担い続けた平野は、協力会社を含めた現場全体の安全文化を築き上げてきました。
決して目立つことのない地道な取り組みを、36年にわたり一貫して続けてきた姿勢が高く評価されました。

明治〜

明治の作業着

伊藤組の象徴とも呼ばれるデザイン

会社が中村区にあった頃、名古屋駅西の繁華街で遊戯をしていてお金が足りなかった時に、半纏を代わりに置いて行き、後日伊藤組の女将が半纏を受け取りに行った逸話があります。

昭和初期〜

昭和初期の作業着

当時はあたりまえだった半袖の作業着

時代背景的に安全面の配慮がまだされていなかったため、今となっては珍しい半袖の作業着(今は全部長袖の作業着になります)。昭和初期頃の唯一残っている半纏以外の作業着です。この頃から、頭を守るヘルメットの着用も始まりました。

昭和中期〜

昭和中期の作業着

安全面のため、初めて長袖を採用

生地はシワが付きづらく厚くするためにポリエステルを使用し始めました。工事部は全員着用していました。

平成〜

平成の作業着

初めてデザイナーの手によるデザインで作業着を製作

ポケベルなど連絡機器を収納できるように初めて胸ポケットを採用しました。今でもスマートフォンなどを入れて作業をしています。

令和6年〜

令和6年の作業着

人材確保のため、建設業のイメージを刷新する現代風の作業着に変更

若い世代に「こんな作業着を着たい!」と思われるようなデザインイメージで刷新。作業着を見てカッコいい!と思ってもらいたく製作しました。