
伊藤組の歩み

伊藤組安全衛生協力会として、地域の安全衛生活動を長年にわたり推進。
年間2,000回を超える安全巡回、フルハーネスの普及、災害ゼロの継続など、他の模範となる取組みが高く評価されました。
中小企業としての受賞は極めて珍しく、関係者と築いてきた仕組みと努力の結晶です。



鳶職一筋の人生を歩み、名古屋の象徴的な建物を数多く手がけた宮脇は、職人としての技術と誇りを体現する存在でした。
受章後も、自身が関わった建物を写真に収め、大切にアルバムに保管。建築への情熱を次世代へ語り継いでくれました。

49年にわたり建設業界に身を置き、日本建設躯体工事業団体連合会への長年の貢献が評価されての受章。
現在は伊藤組の顧問として、未来を見据えた経営を陰から支えています。

1986年の入社以来、安全衛生管理の第一線を担い続けた平野は、協力会社を含めた現場全体の安全文化を築き上げてきました。
決して目立つことのない地道な取り組みを、36年にわたり一貫して続けてきた姿勢が高く評価されました。


会社が中村区にあった頃、名古屋駅西の繁華街で遊戯をしていてお金が足りなかった時に、半纏を代わりに置いて行き、後日伊藤組の女将が半纏を受け取りに行った逸話があります。

時代背景的に安全面の配慮がまだされていなかったため、今となっては珍しい半袖の作業着(今は全部長袖の作業着になります)。昭和初期頃の唯一残っている半纏以外の作業着です。この頃から、頭を守るヘルメットの着用も始まりました。

生地はシワが付きづらく厚くするためにポリエステルを使用し始めました。工事部は全員着用していました。

ポケベルなど連絡機器を収納できるように初めて胸ポケットを採用しました。今でもスマートフォンなどを入れて作業をしています。

若い世代に「こんな作業着を着たい!」と思われるようなデザインイメージで刷新。作業着を見てカッコいい!と思ってもらいたく製作しました。